01出発 | 02機内食 | 03スチュワーデス | 04水 | 05ムンバイ空港 |
06物売り少年 | 07乞食 | 08ガイド・バルマ・ショーン | 09ホテルにてロビー | 10お風呂の手桶 |
11食事は右、トイレは左 | 12エレファンタ島 | 13ホテルにて昼食・買い物 | 14チャーイ | 15イスラム教礼拝者 |
16夢 | 17オーランガバード・アショカホテル | 18 9億6千万人でババ抜き | 19手で食べるインド料理 | 20オートリクシャ |
21 | 22 | 23 | 24 | 25 |
26 | 27 | 28 | 29 | 30 |
★インド旅行記1 出発
2月17日から28日インドに行きました。ボンベイからバンガロールやコーチンといった聞いたこともないようなインドの町に仏教の遺跡を訪ねての12日間でした。1日目〈成田集合〜機内〉参加者 @阿部信幾先生(お経の教学的講師)A田中住職(群馬県)B小川さん『おかあちゃん』(田中住職のご門徒)C宮崎先生『ゆきちゃん』(茨城の小児科のドクター)D白川さん(元都市開教部長・現在は嘱託にて築地本願寺に出向。世田谷正法寺副住職)E七里正親さん『まさちかくん』(五島列島の従兄弟・善教寺)F七里治子さん『はるちゃん』(正親さんの奥さん)G七里順量『じゅんちゃん』の8人。エア・インディアの飛行機に搭乗。飛行機はいきなり1時間動かない。『インド時間』は機内から始まっていた。インド人は時間の感覚が違う。と、いうよりインドはやりたいことやる国なので、飛行機の出発が遅れるには、それなりの理由(誰かがやりたいように荷物を積んだとか、給油係りが寝坊したとか)によって、飛びたい時間に飛べない。こんな時は気楽に待つ方が良いようです。(戻る)
★インド旅行記2 機内食
機内食エア・インディア(インド航空)の機内食は、クッキーから始まった。袋入りのクッキーは1センチ角で奇妙なスパイスの香りがする。スチュワーデスは男性と女性の両方がいて同じように働いている。言葉は英語。外国語を殆ど話せない私は英語だろうがインド語だろうがおまいなしに会話を楽しませていただいた。午後1時に飛び立った飛行機内で、すぐに機内食が出てきた。ミートかベジタリアンの2種類を選択。ミートでチキンをオーダーするとトレーに入ったお弁当みたいなあつあつの食事だった。ドリンクはビール・ワイン・ウイスキー・オレンジ・グレープフルーツ・コーラなど盛りだくさん。私はビールを注文したが、隣の正親(従兄弟)君夫妻はオレンジジュースだった。ちなみに彼は旅の疲れの為かお酒は少々控え気味。そこで私は別のスチュワーデスにワインを注文した。スチュワーデスは怪訝(けげん)そうにいぶかっている(機内ではこの手の飲んべえが多い)ので、私は隣の兄さんがオレンジジュースとワインでカクテルを楽しみたいと伝えたところ、快くワインを出してくれた。斯くして私のテーブルにビールが2本、ワインの小瓶が2本と豪華な食卓となり全部私の食するところへ。従兄弟の正親君はこのことを旅行中ずーっと知らなかったそうで後で話したところ呆れられてしまった。あつあつチキンは実に美味。程良いスパイスにきいたお味は、次々に私の胃袋へと消えていく。食後のデザートも変わったフルーツでおいしかった。特にブドウはすっぱ甘くカレー味で燃えているお腹を優しく癒してくれた。(戻る)
★インド旅行記3 スチュワーデス
一日目、成田を無事飛び立ったインド旅行団が最初に困ったのは喫煙。なんと8人中喫煙者は6名。浄土真宗の僧侶がいかに喫煙率が高いかが伺えますね。後ろ3分の1は喫煙席ですが、旅行団の席から禁煙席になっている。困った順ちゃん(超光寺住職)は、スチュワーデスに交渉してみた。もちろん、飛行機はエア・インディアなので日本語は通じない。たどたどしい英単語での会話
順「私、喫煙者。私の席、禁煙席。どうしたらいいか?」S「空いた席でどうぞ」順「しかし、今日飛行機、満席」S「うーん」順「こっち来て。ここ私の席。私の席から禁煙席。私の隣、友人で喫煙者。その隣も、同じ。前の席三人とも同じ友人で喫煙者。私、ここで煙草吸うOK?」S「うーんOK」この時スチ
ュワーデスは笑顔でOKしてくれた。ただ、スチュワーデスの首は横に振られている。
普通YESでは首を縦に振ると相場は決まっていると思うけれど、インドでは左右に振る。NOで首は横に振るのはインドでも一緒。左右と横でYES&NOを表現しているそうだ。
斯くして、南インド仏跡参拝旅行団を乗せたエア・インディアは、バンコク経由カルカッタ経由にて目的地ボンベイへと旅を続ける(戻る)
★インド旅行記4 水
海外は殆どそうであるが、水は買って飲むに限る。ナチュラルウォーター(水道の水)では、確実にお腹を壊してしまう。ここは背に腹はかえられないので、15ルピー出してミネラルウォーターを買いましょう。1ルピーは3円程度およそ45円で1リットル。日本に観光で見える外国人の方がペットボトル片手に歩いている姿をよく見かけるが、私たちもインドでは同じようにペットボトル片手に旅を続けるのである。
ちなみに、インド人は下痢しないのかというとそうでもないらしい、悪い水飲んだら下痢する当然。体が危険なものを排除する機能を発揮している証なので下痢して正常の世界だそうだ。トイレが極めて少ないインドでは結構、あちこちに朝の用足しの後のべちょべちょウンチが散らばっているそうだ。
前回の旅行で幸ちゃん(宮崎病院副院長小児科医)が、ガンジス河の水を採取して日本で成分検査をしたところ、ガンジス河の水は人間が飲料するのに適しているとのこと。大腸菌の数が少なく、何年経った今も腐敗せずに残っているそうだ。機会があったら聖なる河で沐浴して、うがいしてみたいのだが、今回はガンジス河へは行かないので飲料するチャンスがないのが残念だ。
インド行きの飛行機ではお腹を壊すことがないそうだが、一度インドの地を踏んだときからは、まず水の心配をしたほうがいい。毎食後、予防のため口に正露丸の放り込む私であった。結局旅行中で正露丸一瓶空にしたのは私だけだろうか。(戻る)
★インド旅行記5 ムンバイ空港
インドの都市は北にニューデリー・カルカッタ、南にマドラス・バンガロール、中央にボンベイ・ハイデラバード。我々の最初の寄港地はボンベイ現地名ムンバイ。(因みに日本はジャパン現地名ニッポン)
空港に着陸して初めて我々の乗ってきた飛行機の外観を見た。何ともインド模様の窓にびっくり。記念撮影をしたら警備員から注意を受けた。この国は軍事的要素から開かれていないようだ。飛行機は到着予定の午後十一時を大幅に遅れて、午前一時の到着。入国審査を終え、通貨をドルからルピーに交換。当座必要と思われる50ドル札を交換したところ、ルピーの札束が返ってきた。なんだか得した気分だ。
空港でトランクを受け取った我々一行は外で待っているはずの現地添乗員に会うべく歩いていく。空港の到着ロビーから外に出る通路には、人、人、人の波。みんな顔を乗り出して、中には名前の書いた紙を持ってたり、しきりに名前を呼んでいる人もいる。深夜にも関わらずムンバイ空港は人間で溢れていた。結局人間のトンネルみたいになった通路を抜けて外に出て現地の添乗員とようやくランデブー。次はホテルへの送迎バスを待つことになる。このバスがなかなか来ない。
ムンバイ空港は、黄色の照明で照らされたロータリーに埃っぽいバスが行き交う。人々はカラフルな衣装とギラギラした眼で我々を見ている。とんだ国に来てしまった。それがインドの第一印象であった。(戻る)
★インド旅行記6 物売り少年
インドには物売りの少年が多い。15ルピーあれば昼御飯がたべられるとあって、観光客と見れば物を売りつけにくる。観光雑誌、民芸品、その他諸々。ほとんどが買ってもどうしようもない物ばかりである。まして、実際の値段の10倍は吹っ掛けてきてくるので買う気が失せる。
確か、日本の百円ライターは原価十円のところを百円として売ったところ爆発的に売れたことを考えるとまんざらインド人の物売りの気持ちも解らないではない。
しかし、彼らの商魂は並外れている。私が振り向くまでしきりにつきまとい、買ってくれ買ってくれである。なかには「ごじゅうルピー」とか「ブラザーやすいよ」と日本語で迫ってくる所なんか感動ものである。
象牙のガネーシャ(インドの神・シバの子)を持ってきた少年がいた。面白いと思って商談してみた。「150ルピー」といっている。私「20ならいいよ」「とんでもない」「じゃあ買わない」「まって、100ならどうだ」「25がいいとこだ」「75にするよ」「30だったらいいがね」「50でどうだ」「ここに30あるよ」お金とガネーシャを交換して「これじゃ足りないよ」「じゃあ、このタバコを付けるから」彼はタバコの中身の本数を見て納得したのか商談が成立した。かくして30ルピー+マイルドセブン一箱で象牙製の民芸品をゲット。息子へのみあげとなった。
物売りの彼は原価15ルピーに儲け15ルピーとタバコ1箱。彼はそのタバコを1本づつバラ売りでまた稼ぐのであろうか?(戻る)
★インド旅行記7 乞食
物売りに混じって乞食も多い。しかめっ面で「バババ」と言いながら寄ってくる。何か食わせてくれとアクションをおこしながら近づいてくる。下手に10ルピー札を渡したら大変だ。途端に回りにいる「バババ」が集まってきて、「バババ」攻撃である。終いに取り囲まれて大変なことになる。
インドの上流階級は物心ついたらこの乞食達に施しをすることを教え込まれる。施す行為自身は良いこと。そして財あるものは財の無いものへ施すのが当然と教えられるそうだ。貧富の差が激しい国インド。この乞食達は一生乞食で死んで生まれ変わっても乞食に生まれるとされている。貧富の差とカースト制度と宗教が密接に絡み合っている。
私は、最初この乞食に10ルピーの施しをしていたが、直に止めてしまった。今ここでこの人に施しをすることよりも、もっと有意義な施す方法を思い出したからである。それは、日本に帰ってから、国際ボランティア「ユニセフ」への募金である。ここなら国がもっと豊かにそして、おそらく今目の前の人だけでなく、全ての乞食に施したことになるだろう。かくして帰国後1万円の募金をユニセフへ送ったのでした。インドの彼に届くことを願って。(戻る)
★インド旅行記8 ガイド・バルマ・ショーン
インドに到着して現地のガイドにランデブー。マイクロバスに乗り一路ホテルへと向かった。ガイドの自己紹介「皆さんようこそインドへ。私はガイドのバルマといいます。実はインドという国は神様が呼ばないとこれない国です。皆さんは神様が呼んでくれた。良かったですね。これから12日間お世話させていただきます。宜しくお願いします。」流暢な日本語である。
日本では外国の人を見て、こんなに感じません。「ああ、この外国人はお金持ちだから日本に来ているのか」とは思いますが、「日本の仏が呼んだから来ることが出来た」とは決して思わないでしょう。
インドは宗教の国と言われてる、宗教家ではない普通の人が最初に口にするのが「神」の話って結構日本じゃ考えられないことですね。インドで知り合った人からの手紙の書き出しは「私はいつも神と共にいます貴方もそうですか?」なんて、まるでお寺からの手紙みたいです。
ガイドのバルマはちょっと気が利いていて、結構いけてる。少々の支障は難なく解決していく行動派。口癖は「ショーン」。ショーン・ショーン・ショーンてなぐあいに景気良くインド旅行の始まり始まり。(戻る)
★インド旅行記9 ホテルにてロビー
インドのホテルは結構きれいだ。洋風のロビーに並ぶ調度品はキラキラ輝いて、各国からの来客を迎えていた。フロントで鍵を受けて取り番号の部屋へと向かうところなんか日本と一緒。ただ気を付けないといけないのは、階の数え方が多少違うところ。エレベーターに乗ってびっくり、なんと「0」階がある。日本では1階の位置に0階と書いてある。その横にFrontって書いてあって、つまり105号室が2階の5番目ということになる。0の発明はインドだった。インドは自国産のものを大切にする。
客室は乾いたシーツに美しい調度品で飾られている。気持ちよい休息が得られそうだが、セキュリティーを考えて、パスポートと現金だけは身につけて寝ることにした。
翌朝、朝食のため0階を押し、ちょうど乗り合わせたインド人にご挨拶「It’s fine day. But very hot very hot」そしたらべらべらと話しかけられて、さっぱり解らん。でも、これって日本では考えられませんね。銀座三越のエレベーターの中でもし「今日もすがすがしい朝がやってきました。おはよう」なんてやっても、誰も相手にしないどころか、気持ち悪がられてしまうだけでしょう。ホテルの朝食はバイキングのカレーでした(戻る)
★インド旅行記10 お風呂の手桶
インドのホテルの構造は日本とあまり変わらない。ベッドとユニットバス、空調設備に冷蔵庫。来客用の椅子に調度品。ある程度のものは揃っている。(しかし、この時これらのものが全く設備されていないホテルとの遭遇は夢にも思っていない)変わっているところはやはり水が(硬水の為)飲料出来ないこと。だから洗面やシャワーの時が少々気を使う。うがい程度なら大丈夫とのことだが、念のためうがいはミネラルウォーターで行う。
ユニットバスの中は洗面所とトイレとシャワーがあって、歯ブラシは置いていない。ただし、石鹸は白檀入り。これが結構良い匂いでインドに来たーって感じ。
よく見るとシャワーの近くに手桶がある。同室の白川さんに「それ、手動のウォッシュレットだよ」って教えられた。普通ウォッシュレットは自動で、用足しの時、水が出てきて、汚れたところを洗ってくれるものだが、インドでは手動と決まっている。手桶に水を汲み朝の用足しが出来そうなところを探してウロウロするのがインドの朝の景色だそうだ。
用足しが済むと右手でこの手桶の水を流しながら、左の手で排泄器官の洗浄にいそしむ。郷に入らば郷に従えの教えの通りに、ウロウロはしないけれど、手桶式手動ウォッシュレットの旅を続けた。(戻る)
★インド旅行記11 食事は右、トイレは左
朝の用足しの後はきれいに手洗い。トイレを手洗いというが、まさにその通りで、きれいに洗わすにはおれない。石鹸を付けてゴシゴシと洗う。洗っても洗っても、ウ●チの感触が左手に残っている。洗った後で、クンクン臭いを嗅いでみると、微かに臭いが残っているような気がしてならないくらいだ。左手を不浄の手とするのが良くわかる。
さて、次は朝食だ。0階(日本では1階という事)の食堂へいき、テーブルに付くとウエイターがすぐに飛んできて(といってもインドだから空飛ぶジュウタンで来るという意味ではない)、「カフィー?オアティー?」と聞いてくる。紅茶党のわたしは「ティープリーズ」。
テーブルには「パパド」煎餅があり、ポリポリと前菜である。まもなく銀色のお盆に載ったカレーの登場。銀盆には銀の小鉢で色んなカレーが並んでいる。豆のカレー、ほうれん草のカレー、チキンのカレー、コーンのカレー。皆それぞれに美味しそうである。
ここで一つ注意が必要だ。決して左手で食べては行けない。いや食えたもんじゃない。食おうとすると、先ほど使用した手桶式手動ウォッシュレットの感触がよみがえってくる。やはり食事は右手に限る。
(戻る)
★インド旅行記12 エレファンタ島
ボンベイの西kmに浮かぶ島エレファンタ島。かつてイギリス人が訪れて付けた名前とか。きっと象がいたんだと思われる。島内の神殿はヒンズー教の神々。創造の神ブラフマン、維持の神ビシュヌ、破壊の神シバ。シバの妻パールバティとその子ガネーシャ。
ある時シバは旅に出た。旅から帰って来てみると、妻パールバティーは入浴中。我が家には見慣れない子供が一人。おまえは誰だとの問いにこの家の者だと答える。おまえなんか知らないと、破壊の神シバは自分の子供と知らずに首をはねてしまう。入浴が済み出てきたパールバティーは我が子の無慚な姿を見て、夫シバにくってかかる。シバは近くにいた子象の首をはねガネーシャにその首をくっつけて蘇生する。それを見て妻は不満をいう。私の子供はこんな顔ではなかったと。シバは、ならばこの子を「物事を始めるとき拝まれる神」にし、みんなの人気者にするから許してくれと。
インドでは物事の始め、たとえば入学式、起工式、就職始めには、ガネーシャに祈りを捧げる。人気の高い神様である。
多くの人がヒンズー教を信じ、生活の一部として息づいている。まさに宗教の国であった。
エレファンタ島から船に乗って帰って来ると港に「インド門」が見えてくる。かつてイギリスが占領していた頃は、軍隊の入場のために作られた門である。ゆうに150人位は入れる大きな門であった。船はインド門の直ぐそばにつけられ、当日ガイドのインド美人の…さんともお別れ。港では、少年が物欲しげに付いてきた。どうも我々の持っているペットボトルが欲しいようだ。インドのペットボトルは割と柔らかで、数回の使用には向いていない。逆に日本から持ち込んだペットボトルは頑丈で数回の使用ではびくともしない。彼はこの頑丈な日本製のペットボトルが欲しいのである。旅行団の誰かがペットボトルを差し上げた。
インドには野良犬が多い。しかしどの犬も大人しく、吠える野良犬はいなかった。道ばたに寝そべっている野良犬たちは町の風景ととけ込んでいて何とものんびりとしている。もっとも、吠えるような犬がもしいたとしたら、たちまち殺されるであろう。もしかしたら吠えない大人しい犬しか生きていけないのが自然淘汰のインドなのだろうかと一人感心してしまった。(戻る)
★インド旅行記13 ホテルにて昼食・買い物
エレファンタ島からホテルに帰る。昼食を食べて1時間の自由時間。ホテルの門番シーク教(ターバン頭)の男に勧められるまま、私たち4人は(他の4人は先に買い物に出かけた)タクシーに乗り、市場へ。インド製の指輪がほしい私は片言の英語で「レッツ・ゴウ・リングショップ」分かったような分からないような感じだが、タクシーは動き出した。通じたらしい。しかし乗り合わせたこの4人、インドは初めてであったので一抹の不安はあったが。
案の定、着いたところはジュウタン屋、文句いっても始まらないと4人はジュウタンを見学した。直ぐに飽きてしまった私は町の散策へ。ところが町では東洋人はめずらしいらしく、どこへ行っても人気者。露天商の太鼓売りの太鼓を叩いて「いい音だね」というと太鼓売りは太鼓を叩きながら付いてくる。ガーネシャの人形売り、象の民芸品、遺跡グラフ、果ては「マリファナ!」っていうのがあって大変。こんなところで麻薬やってはいけない。気持ちよーく成ったところで、現金もパスポートも取られてしまう。あぶない。
一回りもするとたいそうな行列が出来てしまう。残りの3人の待つジュウタン屋に戻ってきた。すると、タクシーの運転手が「リングショップ?リアリー?」ってしきりに聞いてくる。リングの意味がどうも違うらしい。しきりに後ろに乗っている治ちゃんと小川ちゃんに気遣い本当に行くのかと念を押す。リングが売春宿のことだと分かったのは彼の仕草であった。リングとは世界共通の売春の意味だそうだ。知らない私はえらい恥をかいてしまった。
リングショップをジュエリーショップと言い換えて、指輪屋へ。タクシーの中で、さっきの市場で物売りにつけ回された事を話し、麻薬売りの少年に危うく連れていかれそうになったことを話した。これがまたいけなかった。
ジュエリーショップは案の定、法外な値段の店で、すぐに退店。ふっかけ指輪屋を出るとタクシーの運転手はこの角を曲がるとマリファナあるという。そんなもんいるか!しばらくいくと、運転手がこの奥にマリファナという。ナヒーン!(いらない)ホテル近くなってくると、運転手は仲間に大声で「この人ドラッグいる人、早く持ってこい」って叫んでいる。私が麻薬売りの少年の話をしたので、勘違いして私が麻薬をほしいと思ったようだ。大変だ、こんなところで警察に捕まると大変なことになると直感した私たちは、タクシーを飛び降りてホテルに逃げ込んだ。
後で考えると運転手はえらい客を乗せたもんだと思っただろう。タクシーに乗るなりリングショップだの麻薬ほしいなんて叫ぶ客に当たってしまった。しかも1時間しか時間がないのに大変だ。その夜インド経験者の4人に話したら面白すぎるので是非布教のネタにしたいといわれた。(戻る)
★インド旅行記14 チャーイ
8号で書いたが、インドは宗教の国である。ヒンズー教(額にしるし)ゾロアスター教(火を拝む)仏教ジャイナ教(苦行を主体にした裸形の修行者)がインド産の宗教。イスラム教(女性は黒装束で目しか見えない)キリスト教ユダヤ教シーク教(ターバン)が外来の宗教。その中でもイスラム教は目に付く。
空港のロビーの片隅で一列に座って一心に祈りをあげる一行。「なんとかかんとかアッラー」と地面にひれ伏す礼拝。
終わるのを待って「What is your religionレリジョン(宗教)?」「Islamイスラーム」「How many minutes」「10minutes」「How many times in day」「5 times」「What time」「8,10,2,4,6 o'clock」一日5回10分づつ8時10時2時4時6時に頭を地面にするつけているとのこと。皆さんもどうですか、一日5回10分づつ念仏申されては?でも、親鸞聖人や法然上人はそれどころか一日中称えていたと。私は如何に今の私が懈怠の毎日かと諭された気がしました。
インドの宗教もそうだが、世界の宗教は人間の向上を救いの条件にする。立派な人間になって救われていく。しかし、浄土真宗は愚か者の救いを説く。立派になれないからこそ弥陀の救いが必要である。
インドはまた、身分差別の国である。奴隷に生まれたものは一生奴隷。死んで生まれ変わっても奴隷とされている。奴隷に浄土を届けたくなるのは私だけであろうか。25年もすると超光寺の寺門も確立していることであろうから、その時、私は草加布教所インド出張所を建立しようと思う。貴族も平民も奴隷も皆往生できる平等の救いを届けに行きたい。
お寺の隣には日本料理を食べさせるホテルを建てるので皆さん泊まりに来て下さい。このインド旅行記が終わる頃にはインドに浄土真宗が伝わっているってことに成りそうです。
それにはまず、インドのマフィアにお近づきに成る必要があります。平等の救いはインドの身分階級という社会の基盤と相反しますので、私の身が危ないと思われます。ボディーガードのためギャング団と提携する必要も有りそうです。今の内に拳法を習っておこうかな?
夢をたくさん膨らませてくれるインドでした。(戻る)
★インド旅行記15 ムンバイ空港のイスラム教礼拝者
インドは宗教の国である。ヒンズー教(額にしるし)ゾロアスター教(火を拝む)仏教ジャイナ教(苦行を主体にした裸形の修行者)がインド産の宗教。イスラム教(女性は黒装束で目しか見えない)キリスト教ユダヤ教シーク教(ターバン)が外来の宗教。その中でもイスラム教は目に付く。
空港のロビーの片隅で一列に座って一心に祈りをあげる一行。「なんとかかんとかアッラー」と地面にひれ伏す礼拝。
終わるのを待って「What is your religionレリジョン(宗教)?」「Islamイスラーム」「How many minutes」「10minutes」「How many times in day」「5 times」「What time」「8,10,2,4,6 o'clock」一日5回10分づつ8時10時2時4時6時に頭を地面にするつけているとのこと。皆さんもどうですか、一日5回10分づつ念仏申されては?でも、親鸞聖人や法然上人はそれどころか一日中称えていたと。私は如何に今の私が懈怠の毎日かと諭された気がしました。
インドの宗教もそうだが、世界の宗教は人間の向上を救いの条件にする。立派な人間になって救われていく。しかし、浄土真宗は愚か者の救いを説く。立派になれないからこそ弥陀の救いが必要である。
インドはまた、身分差別の国である。奴隷に生まれたものは一生奴隷。死んで生まれ変わっても奴隷とされている。奴隷に浄土を届けたくなるのは私だけであろうか。25年もすると超光寺の寺門も確立していることであろうから、その時、私は草加布教所インド出張所を建立しようと思う。貴族も平民も奴隷も皆往生できる平等の救いを届けに行きたい。(戻る)
★インド旅行記16 夢
お寺の隣には日本料理を食べさせるホテルを建てるので皆さん泊まりに来て下さい。このインド旅行記が終わる頃にはインドに浄土真宗が伝わっているってことに成りそうです。
それにはまず、インドのマフィアにお近づきに成る必要があります。平等の救いはインドの身分階級という社会の基盤と相反しますので、私の身が危ないと思われます。ボディーガードのためギャング団と提携する必要も有りそうです。今の内に拳法を習っておこうかな?
夢をたくさん膨らませてくれるインドでした。(戻る)
★インド旅行記17 オーランガバード・アショカホテル
さすが、インドである。なんとホテルの名前が「アショカ」!知らない人にとっては「あしょか」ってことになるんだけれど、アショカって王様がいて、インドに仏教を広めた人の名前である。お釈迦さまの遺骨は最初7〜8個に分骨されていた。その遺骨をいったん集めて、それを4000個に分骨してそれぞれを石柱碑文にしてインド全土に建設した。これによって仏教の教えが広くインドに広まることになった。
かつて、イギリスがインドを植民していたとき、インド人は樹木を礼拝していた。イギリス人は「ああ、インド人は樹木信仰か」って思っていた。しかし、それは樹木ではなく菩提樹の木の根本にブッダの足形(仏足石など)を描き、ここにぶっだがいるとして礼拝していたのである。このことをイギリス人は低い次元の宗教と理解していたが、「アショカ王」の碑文が発見されてからは、お釈迦さまは実在の人物でしかもキリストよりも古く紀元前に真理に到達し、人々を導いていることを知るに至る。これよりイギリス人は仏教の研究並びに教典の英訳に話は進んだ。欧米で研究される仏教は、結構原始仏教が多く、ピュアな形の教典だ。アショカホテルは由緒ある名前を残している。
旅慣れた人なら解るだろうが、ホテルの中で政府公認…の付くホテルがある。結構サービスがいけてない。ここアショカホテルもそうである。ウエイターは気が利かないし、頼んだものがテーブルに届くのに時間がかかる。庭掃除の人夫ものらりくらりやっている。よく見ると掃除夫のもつ箒には枝が付いていないよ。あれでは効率が悪そうだ。しかし、インドは効率よりも大らかさで掃除をしているようだ。
ここどはゆったりとした時間が時を刻んでいる。(戻る)
★インド旅行記18 9億6千万人でババ抜き
実はインドの大地に足を踏み入れた時からゲームは始まっていた。インドの紙幣は破れている時がある。その多くは「ババ札」と呼ばれ、使用不可なのだ。「ババ札」を掴まされたら銀行に行って交換するかない。
しかし面倒なのでそのまま使われている。早い話、自分の手元から無くなればいいのだ。そこで格好のカモが外国人である。時にはお釣に、また時には両替えにと手口は巧妙である。
ゲームにはルールがある。紙幣の縁が少しでも破れていたらババ札。透かしの部分に穴が空いているのは問題無し。これは銀行などで紙幣をまとめる時に帯を使わず、ホッチキスで止める為で新札でも小さな穴が空いている。実際、ガイドから両替用の新札を見せてもらったら、真っさらな新札がホッチキスでガバッと綴じられていた。
以上の簡単なルールにのっとり、インド人口推定9億人の全員参加型ババ抜きが紙幣の登場以来、終わりのないゲームが開催されている。お釣には必ずと言っていいほどババ札が混じっている。それに気付いて突き返すと苦笑いを浮かべながら交換してくれる。相手も分かってババ札を混ぜているのである。にやりと笑って渡し直す、実に憎めない。
もしババ札を掴まされたら、次はそのババ札をもって街にでる。銀行になんて行かず、食事をした時にでも混ぜて払う。あの手この手でババ札を処理する。慣れてしまえば、実におもしろいゲームだ。
おみあげにちょっとにおうのでパッケージされたババ札が超光寺に陳列してある。興味深い方は一度見に来た欲しい。(戻る)
★インド旅行記19 手で食べるインド料理
食事の時は、まず手を洗いましょう。銀色の盆に銀色の小鉢にはさまざまなカレーが載っている。豆のカレー、ほうれん草のカレー、コーンのカレー、チキンのカレー、まれにビーフのカレー。赤いほど辛いし、白いほど甘い。過激な辛さのため、汗が吹き出ることもしばしば。元来汗かきの阿部ちゃん(仏教教学の先生)と私は、ダーラダラと汗をかく。他の皆さんは割と平気な顔をしているときでも、ダーラダラ。
銀のお盆の真ん中に、ライスをパラパラと盛りつけてもらい、周りの小鉢からカレーを手ですくってライスにかける。手でカレーとライスを混ぜ合わせ、上手に右手ですくってお口へ。インド料理は3度美味しい。目で食べて手で食べて口で食べる。
殆どが銀色のお盆で出てくる。我々の旅行は割と贅沢なのだろうか。旅行中一度だけのインド料理専門店。さすがにノンアルコールで、バナナシート(バナナの葉のお皿)、特別ダーラダラの辛いカレー。
(戻る)
★インド旅行記20 オートリクシャ
インドの町にはタクシーがいっぱい。黄色い車体に運転席と座席と簡易な屋根、小さな扉のタクシーである。よく観察してみると、運転席はバイクみたいなハンドルが付いていて、なんとハンドルを回しながらギアチェンジしている。世界に名高いベスパ。バイク乗るならベスパで有名なバイクをタクシーに変身させているのである。エンジン音はバイクなのに、車体はタクシー。3輪車のこの乗り物メーターが付いていて、町を流している。
白川さんは前回のインド旅行でインドの自転車をおみあげに持ち帰ったそうだが、今回はこのオートーリクシャにしようかと言っていた。それほど面白い乗り物である。(戻る)