お彼岸の迎え方

 住職のJunryoです。

私はお彼岸にお墓参りをしたことがありません

あれっと思った方もあると思いますが、やっぱりお参りが忙しくて

お墓参り出来なかったのか?と思った方もあるでしょうけれど

実は実家のお寺も埼玉の私が建てたお寺もお彼岸と言って自宅へ

伺う習慣がありません。忙しくは無いのです。(たまにお墓でも読経依頼がある程度)

目次

◆◇◆ 実家のお彼岸と埼玉のお彼岸 ◆◇◆

 実家は彼岸はお中日(春分の日・秋分の日)を挟んで前後7日間が

お彼岸期間で、毎日「ご門徒さま」がお寺が開催する「お彼岸法要」

に参拝してこられます。みんなで揃って「正信偈」を勤め、ご法話を

聞いて帰っていかれます。7日間これが毎日続くのです。

 ご遠方からバスで来られたりいたしますので、お寺では精進料理を

たくさ~ん作って振舞います。だから皆さんはお米を3合どほお持ちくださり

布教使の先生へのご法礼や精進料理の材料費も含めて御懇志を

してくださいます。

 ここ埼玉はお寺が出来て25年ですし、まだまだ実家のような姿には

程遠いですが、お彼岸期間中の土日を利用して、みなさんがお参りしやすい

日時で1座のみですが、お彼岸法要を勤めています。

 ですので、生涯でお彼岸にお墓参りとはならず、お寺で法要に参加する

という形が私のお彼岸なのです。

■一般的にはお墓参り

は一定期間で

お参りをしないと掃除などのお世話が必要ですから。正月前後、両彼岸、

お盆といった基本年4回くらいはお参りしないとならないかと思います。

実家は境内にお墓がありますし、田舎の方は毎日草むしりに朝5時から

お墓に行くので草の生える暇(いとま)はありません。

 関東ではお墓をお持ちの方だとほとんど舗装されているのと、管理の

方がいていつもきれいになさっていますね。稀に、公共の墓地で荒れている

お墓をほんのちょこっとですが、見かける事がある程度です。

★お彼岸の本来的意味合い

 さて、お彼岸の意味を深く考えてみたいのです。お彼岸という言葉は

インド語が語源です。パーラムイターを訳して到彼岸というのが正確な

訳語になります。到る場所は彼の岸、向こう岸、娑婆を離れた覚りの境地

という事です。渡り方は大乗・小乗・聖道・易行とさまざまな宗派に

分かれるでしょうけれど、パーラムイターを目指していることは同じです。

煩悩を離れ解決し、煩悩に苦しむ事の無い、安住の境地、仏様に成っていく

という仏教の持つ最大かつ最高の状態を目指すということです。

★☆★ 浄土真宗での成仏 ★☆★

 それには浄土真宗ではどのようにして成就するのかといえば、私に必要な

煩悩の解決は阿弥陀様が既にご修行くださっており、その完成した功徳は

南無阿弥陀仏となって私に届いているのですから、この阿弥陀様の

「必ず救う、キラキラ輝く仏の世界にあなたを生まれさせるよ

  最高の智慧を開いたお慈悲あふれる仏様の境地にまで高めるぞ」

という、お約束の言葉を頂いて、今、今日、ここに、この私の上に

功徳が届いて、救われていくというもの。

 浄土真宗には修行が無いとよく言われるのですが、絶対違います。

仏性あるいのちが、修行によって高められ、煩悩を打ち砕き、闇を破り

あらゆる能力を身に付けた智慧・慈悲の仏になるという大前提は同じです。

経文に「十方衆生」を仏にすると誓った仏様は阿弥陀如来です。

十方・・・あらゆるいのちに仏果をもたらす為、無条件の救いを建立したのです。

自らが功徳を積み、ご修行のあかつきにそれほどの完成をなさったのです。

衆生を仏にまで高める功徳はすでに完成を遂げて十劫という時間を過ぎました。

今でも今までもこの功徳に出会ってきたはずでしたが、無視してきたのです。

★☆★ 成仏するのは私の方 ★☆★

 この度は、お釈迦様の生まれてくださった世界にたどり着いたわけですので

救われるべき教えに出会うべきして出会えている私なのです。この喜びを

耳にし口に称えるべく法縁が今年もやってきました。それがお彼岸なのです。

彼岸に「わたし」が生まれていく由来、縁起、エピソードを聞くために用意

されているのがお彼岸という行事です。

 お墓の管理も正しい行為であります、が、一番大切なのはご自身の成仏。

ご先祖さまの成仏も関心事でしょうけれど、もっと大事なご自身の成仏のいわれ。

これを逃さないようになさっていただきたいと切に念じ申し上げます。

他の誰よりもご自身を愛するなら、折角死を超える道があるとするなら、

このお彼岸に浄土真宗のみ教え、だれもが浄土に生まれる事の出来る理、

嘘をつかない仏様のお救い、南無阿弥陀仏を道理をお聞きになられてください。

かくして、私はお彼岸にはお墓参りを行わず、お寺参りをしてきたという事です。

だって、ご先祖様たちはみんなお浄土に参っているから私も参りたいと思います。

お墓からは参れません。お救いのお言葉の中にこそ、私の浄土参りがあるからです。

南無阿弥陀仏 南無阿弥陀 弥陀に任せた浄土への道 今こうして今日もまた

南無阿弥陀仏 南無阿弥陀 呼んで下さるみ親の声に ありがとうとお念仏

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